申し込み締め切りギリギリでのツールド沖縄参加からブルベの洗礼を受けるまでを振り返る。
・ツールド沖縄編
ツールド沖縄は毎年、10〜11月辺りの時期に沖縄本島を舞台に開催されるイベントである。
レースとロングライドにカテゴリーが分かれていて、市民レースの中で210kmにも及ぶ最長距離のカテゴリーでは全国から猛者が集いホビーレーサーの頂点を争う。馴染みのショップの店長曰く、みんな命かけてますからね(微笑)、とお客さんと一緒に店長も出場するらしい。そんな方々を尻目にわたしは迷うことなくロングライドの方にエントリー。
初代自転車名人 故・忌野清志郎が完走できなかったとか言い伝えのある沖縄一週ロングライド二日間のコースはブルベ参加を前に、自分の実力を査定する上で申し分無い舞台と判断。だが、気持ちは盛り上がりつつも自分史上最長距離のロングライドに不安は拭えきれないでいたのだった。
ショップの店長曰く、小刻みにやってくる起伏の形状から「洗濯板」とも称されるコースが名物のツールド沖縄。いざ走ってみて、登りと下りが連続する道のりに、そう呼ばれる所以をなんとなく実感。でも多少は和田峠を筆頭に奥多摩の山々で鍛えた経験が活きた模様。平地ではわたしを千切っていったライダーたちがズルズルと後退していく。思わずここぞとばかりにギアチェンジ。自分なりのハイライトである。
結局、へばって回収車に拾われるようなこともマシントラブルに見舞われてサポートのお世話になることもなく無事完走できて㊗︎忌野清志郎超え。
負担に感じたことと言えば、1日目を終えて那覇のホテルに宿泊した時のこと。お一人様の辛いところであろうか。他の参加者1名と相部屋という待遇は事前に了承済みではあったが、これは実際に遭遇してみるとなかなか煩わしいシュチュエーションであった。
初対面の野郎と二人きりかよ…とむさ苦しいのはお互い様なんだし、ここは参加者同士の交流を深めるのが自然であり疲れていなければそうしたかったのだが…その方にはさぞ気を使わせてしまったと思う。申し訳ない。
・ブルベ編
そしてオリンピックイヤーの2012年、ブルベデビューを迎える。
先ずは手始めに200kmから、ということで冬の只中にある1月の初旬に東京からは遠方で開催されるブルベに参加するため前乗り。寒すぎて、ホテルのベッドの温もりから未練を断ち切るのに苦労した結果、遅刻。スタート地点では既にブリーフィングを開始している模様。そんな中、いつも一人か二人はお前みたいなのおるわwwwwと温かく迎えられ一安心。
ブルベは「どこそこを何メートル直進、次は左折」といった情報が記載されたキューシートなるものが事前にウェブで確認することができ、参加者はそれを頼りにルートを辿るのだが、これだけを頼りにしていては道に迷うこと必至。自分なりに見やすくオリジナルのキューシートを作ったり各々で工夫するのが常識なのである。
GPSなども活用しつつも、アナログな手段をメインに走破するのがブルベの醍醐味!…なんて声に感心しながらも最初から文明の利器に頼る気満々だったわたしは、ナビに対する依存っぷりを徹底して貫き200、300、400kmのブルベをその年の上半期の間に完走した。
どの距離のブルベもわたしにとってはかなりハードだった。現地に前乗りして参加した200㎞は初めてということもあってか準備の段階と移動で労力を費やして本番以外の部分で体力的に削られた感がある。夕方にゴールするやいなロードバイクから車に乗り換えてレンタカーを返す時間に間に合わせるのに慌てて東京へ戻ったりと、軽いダイハードであったからだ。
・ありがたくない奇跡体験
300kmでは雨や雪に見舞われたり天気に苦しめられたブルベであったし(というか全ブルベを通じて天気には恵まれなかった)、400kmでは夜通し走らねばならず、灯りの無い峠道がルートに設定されているなんてことも珍しくなく、そんな車でも通ったことが無いような道を真夜中に進まなければいけないのである。
前にも後ろにも他の参加者の姿は無く、車の往来もわずかな海沿いの道を走っていた時のことだ。
そばに広がる真っ暗闇の海の恐怖におののきつつも耐え忍んで道を行き、トンネルに入ると延々と先まで続いていて、なかなか出口が見えてこない。
な、長いね…(震声)。
この時の精神状態では、ただのトンネルでさえ怖く感じる。早く抜け出したい思いでスピードを上げる。殺風景なトンネル内の景色が流れて、道路の端に置いてある標識などが視界の隅を通過していく。
ん…(!)なんだいまのは…
一瞬、目の端に捉えたのは標識だった思うが、違う何かを見たような気がしたのだ。まさか気のせいだよな…と思っても振り向く勇気は無く、とにかくペダルを漕ぐことに没頭する。やがて出口が見えてきて…
ズコッ!…んん?!
何気なくシフトチェンジした拍子に、漕いでいた足がペダルをスカッと踏み抜いたような感覚を捉えたのだ。
何が起きたのかというとチェーンが外れたのであるが、一段重くなるように指先でレバーをほんの微妙に動かしただけなのに、いっきに何段も飛ばすようにトップの方向に外れていくという不自然なチェーンの動きといい、このタイミングといい…
この時点で全身が総毛立ち、恐怖はピークに達していたように思う。
結局、それ以上のことは何も起こらず、パニックで慌てながらもチェーンを戻すとその場から遠ざかり事なきを得た。
何かを見たわけではないが本当に恐ろしい体験であった。
このことは、ゴール受付地点のファミレスで同志の方々が完走できた喜びを分かち合う中話してみたが、トンネルがどうかしたって?、と言われたくらいで誰からも共感を得られず、これでお終いである。
他にも、明け方に睡魔と闘いながら走っていると幻覚を見たことがある。信号待ちで、ふと対向車の先頭でスタンディングの状態でフラフラしているピスト乗りがいることに気づいて、道路のど真ん中でなにやってんだあいつ…、と思っていると姿がパッと消えたのである。この時はさすがにこのまま走ったら事故るであろうからコンビニで休憩をとった。幻覚といえば結構、ブルベあるあるなことらしい。くわばらくわばら。
・もはやただの苦行
徐々に走る距離を伸ばして400㎞までは完走できたが体は無傷というわけではなく、大したほどではないが首や手など体の節々にいつも痛みは感じていた。それよりも気になっていたのが、腸脛靭帯炎が慢性化していた左膝と股ズレである。
腸脛靭帯炎とはランナーズニーと呼ばれるくらいマラソンランナーがなりやすい怪我である。左膝はだましだましケアをしていれば走れる分だけマシだったが、デリケートゾーンである股の方は限界でとうとう走行不能にまで陥った。
それは600㎞のブルベの途中、いい加減股ズレの痛みにも耐えかねていた時だった。前日にスタートした時刻から24時間近く経過しようかという朝方に山中で土砂降りの雨に見舞われて、雨が降るたびに脱ぎ着しやすいようにとリアバッグに括り付けていたはずの雨具がいつの間にか走っているうちにどこかに吹っ飛んでしまったことに気づく。
温かい食べ物を求めて立ち寄ったコンビニのトイレで股の負傷の程度を確認すると絶句…サドルに体重がかかる尻の部分には左右対称にオデキができていて、「股」ズレならぬ「袋」ズレまで起こしてレーパンのパッドに血が滲み…(これでもディテールをだいぶボカして表現しているつもりである)
見なければよかったと思った。余計痛く感じる。わたしはレーパンを中途半端にずり下げた情けない格好のまま絶望した。
これまで様々な形状のパッドを備えたレーパンやサドルを試し乗車姿勢も研究するなど工夫を凝らし万全を期したつもりで臨んだが、今まで経験したことがない長時間のライドを走りきるコンディションには到底及ばなかったのである。
ブルベを走破できるかは、ライダーが体力面において条件を満たしている場合、事前準備の段階で決まってくると思う。天候や気温の変化、車体に関するトラブルを含めて適切に対応できるかがカギなのだ。
・それ以来、現在もブランクは継続中
途中棄権に終わったブルベ以来、今まで2年以上の間、ロードバイクには跨ってもいない。乗りたくなったら乗ろうと思って他のやりたいことに時間を費やしていたら気がつけばそれだけの月日が流れていたのである。
軽自動車が買えそうなほど金かけといて全然乗ってないじゃんwwwwなどとは今のところ誰からも言われていないけど、いつ言われるかもしれないから、乗りたきゃ乗る気楽なスタンスなんであって、わたしにとって自転車は筋トレのように運動効果を期待することなくできる純粋に乗るのが楽しい遊びなんであって…(筋トレだって遊びと言えば遊びなのだが)、みたいな言い訳めいた反論をいつ何時しなきゃいけないのかと気の抜けない日々を送っている。
・物欲からの解放というメリット
一概にロードバイクとはそんなに金のかかる趣味なのかというと、そんなことはない(はず)。人にもよる。
最初に車体からアクセサリーまで一式を揃えたら、チューブやタイヤなどの消耗品諸々にかかるそれほど高くもないランニングコストが発生するだけで済む(はず)。
わたしが実際に会った某競輪選手で、意外過ぎるほど最新の機器に関する話題に全くもって疎い人がいて驚かされたことがある。その人は、おれは乗れりゃそれでイイんだよ…と言った。かっけえ。こんなオヤジになりたいと思ったもんである。
というか、その道のプロは使用機材が規格で定められているから、所詮は使用を認められていない道具(ましてやロードバイク)のことなんて関心が無い、という人がいても当然かもしれない。しかもその人はアスリート気質の薄いゴリゴリのギャンブルレーサーという風体のおっさんだったので、素人と最新のパーツ談義で盛り上がるより、なんだよチャリヲタあっちいけしっし、くらいの反応を匂わせてくれた方がわたしが勝手に抱いているイメージにしっくりくるので妙に納得している次第である。
というわけでロードバイク一般ユーザーも、おれは乗れればそれでイイんだよ…そう言って達観した境地まで行ければいいのだが、なかなかそうはいかない。
次から次へとパーツを取っ替え引っ換え試してみたいし、毎年登場する新しいモデルは気になるし、財布と相談→買えないこともないと判断→もうすぐボーナスだってあるじゃないか!→よしイケる!
これが自転車愛好家の一般的な思考パターンである…とは言い過ぎかもしれないが、以前のわたしはこんな感じであった。
2012年を最後にサイクルモードには行ってない。ブルベ完走が失敗に終わったばかりで傷心モードだったこともあり気乗りせず、何を見ても心がときめかなかった。
あれも欲しいこれも欲しい、のその先にある新境地なのかなと思う。自転車に関心が無くなったわけではない。ただもう29インチのMTB、電動のコンポ、カーボンホイール…などのどんなアイテムにも心が動くことは無いので無駄遣いせずに済みそうである。良いことである。見習ってくれてかまわない。
・そろそろ乗りたい
が、苦痛が伴うのは御免である。ケーブルテレビで海外ロードレースの映像が流れているのを見るたびに、こうゆう景色が綺麗なところを快適に走りてえな、とは思ったりする。日毎その願望は強まっているので、今すぐじゃなくてもいつかはツールと同じコースを走りにいこうと思っている。それまでに股間の痛みとおさらばできる画期的なサドルが開発されたらいいのだが(切実)。
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